溝辺町観光農園の歴史
霧島市溝辺町での果樹栽培歴史は昭和初期に竹子(たかぜ)地区に始まっている。
剥岩源次郎氏(当時40歳ほど)が鹿児島市で梨の苗を買って自宅周辺の畑に植えたのが溝辺町(その当時は村)での果樹栽培のはじまりと言われている。
その当時、竹子地区はほとんどが畑作地帯であり、水に乏しく人々はわずかな農地で米・麦を作り生活をしていた。
源次郎氏は息子智氏を鹿児島市郊外の果樹農家に研修させて、溝辺に合った栽培方法を確立させることとなる。
また、さらなる果樹栽培を求めた智氏は、熊本の試験場を尋ね、ブドウの栽培を習得することとなった。
戦後、一時期は果樹栽培農家は増加をしたものの、その後の果樹暴落によって、16戸の農家が栽培を続けることとなった。
時代は流れて昭和47年。溝辺町に鹿児島空港が開港されることとなった。同時期九州自動車道も整備され、溝辺は空陸要衝の地となる。
竹子地区、特に果樹農園の多くは竹子地区でも外れに位置するが、ここを通る国道504号線は出水方面から空港に行く通り道である。
そこに目を付けた農家は道路脇に仮小屋を建てて直売所を開き始めたのである。
ここから、溝辺町の観光農園の歴史は作られたのである。
現在、15戸の農家が梨とブドウの栽培を行っている。溝辺町観光農園果樹部会はその15戸から構成されているが、ほとんどが、直売であり、部会での市場への共同出荷はごく一部しかない。
直売をするということは、生産者の顔が見える商売をするということであり、現在の「顔の見える生産」の先駆けともいえるだろう。
会員同士お互いがライバルであり、各自独自の理論・哲学を持ち生産を行っている。もちろん、基本技術は県の改良普及センター等の指導は受けているが、それぞれのノウハウで栽培を行っているのが事実である。
会員自らが試行錯誤を重ねて、よりおいしい、安全な果樹栽培を行っている。
「スーパー、デパートで販売されている品物より、見てくれ、形は揃っていないが、味ではどこにも負けない。」
これは、会員全員の思いである。
「新鮮なおいしい果樹をお客さんへ食べさせたい」という一心で作られた溝辺の果樹を是非一度は味わっていただきたい。 |